非効率を選択できる世の中にしたい
世の中が、どんどん効率化されるにつれ、非効率のメリットをちゃんと考える必要があるんじゃないかなぁと思ってて。今日は、そんな話を
コロナ以降、リモートワークが無茶推進されて。当時、W3C(Webの国際標準化団体) の標準化活動とか熱心にやっていた背景もあり、(たぶん)日本で初めてリアルタム映像通信標準規格 WebRTC をブログで紹介し「日本企業として、ちゃんと取り組まないといけない!!」って僕のゴーストが囁いたのでw、会社の研究開発プロジェクトを立ち上げたりしました。
優秀な同僚や部下に恵まれたおかげで(僕はきっかけを作っただけで、これを達成したのは、会社の優秀なチームメンバーの成果)、いわゆる「研究開発のデスバレー」
を乗り越え、商用化に成功(これ、もの凄く大変なんです。。。。特に大企業では)。最近のリモートが推進されている中「少なからず社会にも貢献してるんじゃないかなー」って思ってて、僕にとっては「色んな苦労もあったけど、長年取り組んでいてよかったなぁ・・・・」となるはずなんですが。。。。なんかもにょっている。
確かに、テレワークが普通になったことは働く身からするともの凄くメリットがあって、
- 毎朝の、今思えば奴隷電車としか思えない満員電車に乗る必要がない
- もの凄く効率的に働ける(打ち合わせ終了後に、移動時間を費やすこと無く、即座に仕事に戻れる)
- 平日の移動による疲弊がないので、人間的な生活ができる。自然と家庭も円満になるし、土日に例えば庭いじりとかできるようになって、家の周りがどんどん綺麗になってうれしい(自己満足)
とかが例えば僕のメリット。一般的に言うと
「効率的で、かつ、人間的な生活ができるようになった」
ってことかなぁと思っています。
でも、物事にはいいことがあれば、必ず悪いことがあって、
- 人が移動しない/集まらなくなったことにより、大打撃を受けている方々がたくさんいる。これは決して忘れちゃいけないし、なんとかしないといけない
- 職場のメンバーとコミュニケーションが取りづらくなった(雑談から、色んなことが本来はめばえるはず)
- 通勤時間にしても(あの満員電車は、決して健康的では無いと思っていますが)、あの時間帯に読書や色んな調べもの・頭のリセットができた
とかあるわけで。決して、いいことばかりではない
「欧米にならって、リモートワークを推進すべきだ!」なんて声もあるかもしれないけど、3年余りアメリカ西海岸で生活していた立場からすると、(少なくともサンフランシスコ/シリコンバレーは)リモートワークを推進していない。確かにリモートでのWeb会議は当たり前だけど、互いの距離が遠すぎて、移動が余りにも非効率なんで(例えばニューヨークとサンフランシスコ間の移動で6時間以上かかる)自然とリモートになっているだけだと思っていて。社会も個人のワークスタイルを大切にしているので、無理に会社に来いとはなっていない。
実際、社員にオフィスに来てもらうために「昼食を無料で提供している」とか「社内にゲーム施設(卓球台とかビリヤード台とか)」を置き、「オフィスに来ると楽しいよね。なるべく来ようね」という場を技術屋ならあこがれのIT企業はのきなみやっている。誰もリモートワークは推進していない。個々人のワークスタイルや考えを重視していると見るのが正しい・・・・と、僕は見ています。
それをステレオタイプ的に「リモートワークは素晴らしい。効率性の追求は美しい」と考えるのは、間違っているんじゃいかなと。
話は変わりますが、職場のメンバー(後輩)と Slack をしていて「ドルビーってノイズリダクション(雑音の軽減)もやってるんだ」という話があがりました。
中学・高校時代に音楽鑑賞にとにかくはまっていた僕は「ドルビー === ノイズリダクション」って思ってたので、もの凄くジェネレーションギャップを感じました。
年寄りの昔話になっちゃいますが CD が民生化される前、アナログのレコードやラジオ・カセットテープが当たり前だった頃、音楽にノイズが乗るのは当たり前だったので、ノイズリダクションは無茶苦茶重要で。
でも、それって折角のアーティストの楽曲を変形することになるんで、ホントは美しくない。そうなると、音響機器にこだわったり(例えばスピーカーの木の材質とか)、ノイズの最大の原因は振動なのでそれを抑えるために、音響機器をどこに置くか・・・・とかがもの凄く重要で、そこをアナログ的に頑張ると、効果も肌で感じられる。
当時の僕の目標は「ドルビーノイズリダクションをオフにしても、クリアに聞ける」音響環境を作ること。当然ながらそのためには物凄いお金がかかるし、なんなら家を建て替えないと無理で、当時中学生の僕には無理。「絶対大人になったら、そういう環境をつくってやる」って考えていました。目的は、「好きなアーティストの演奏を可能な限り、生に近い音で聞きたい」ってそれだけ。地方出身でアーティストをライブで見ることも叶わなかったので、余計そんな思いが強かったのかなと思います。
でも、それからCDが出てきてデジタル化されたことで「そもそもノイズって何それ美味しいの?」となり
- 素人がいじる程度では、音響環境を頑張った効果が実感できなくなった
- そもそもアナログ -> デジタル変換されている時点で、音は変わっている(脳や耳が、気づいていないだけ)ので、頑張る意義がそがれる
- レコードやカセットテープを聞くより、はるかに便利で効率的(今やCDすらめんどくさいって話ですが)
正直、僕も「そこまでこだわらなくていいかな」というマインドになったり。デジタル化が社会に入り、効率性があがったことで、ものすごーーーーく便利になったんだけど、なんか大切な何かが失われた気がします。
なんで、アメリカいる時に、あえて「レコードプレーヤー」を中心に音響機器をばらで買い、あえて「リモコンを使わずに」音楽を楽しむという生活をしていました。効率性によって失われた何かを取り戻したかった感じ。
当然ノイズは乗るし、「音質はデジタルのほうがいいんじゃないの?」って、ある意味それも事実なんですが、好きなアーティストの名盤(例えば Queen II とか)を、あえてレコードと CD の両方で揃え(インターネットでの音楽配信は CD より音質下げてるんで、聴き比べるとかって意味では論外)「やっぱりこれだよなー。温かみが違う」と楽しんでいました。
はっきり言って、音響用のラックとか、部屋の作りにあわせた配置とかしないといけないんで、この楽しみ方はにわかなやり方だし。全然納得はいってないんだけど、海外の賃貸に住んでいた身としては限界もあり。まぁやれる範囲で自己満足にひたっていました。
たぶん、この考えは僕だけじゃなく、実際アメリカでは「レコード(アナログ)がCD(デジタル)」の売上を抜くという現象が起きているわけで。
効率性が進み、便利であるが故に、あえて非効率を求めるってことなのかな・・・・と、個人的には思っています。人間自体がアナログな存在である以上、やはりアナログを求めている・・・・ってことかなと。例えそれが非効率であっても。
ここまで偉そうなことを書きましたが、かくいう僕もアメリカいた頃は、普段はネット配信で聞いていました。やっぱり便利で、気軽に聞くにはネットがいい。でも、ホントに集中したい時、音楽を楽しみたい時(例えば土日とか)はレコードで聞いてました。
要は「アナログがいい」「デジタルがいい」という2極ではなく、「その時の状況に応じて、最適な音楽鑑賞を楽しめればいい」と僕は考えています。
話は戻って、テレワークの話。あくまで個人の考えですが「在宅テレワークが最高!効率的に便利に働けるし」は間違っていると思っていて
- ほんとに集中したい時、効率的に働きたい時は、在宅テレワークはたしかにいい
- でも、一見ある種無駄に見える時(雑談とか無駄話とか、電車や機内の移動時間とか)に、思いついたこと・人との会話からがきっかけとなった仕事は多い(振り返ると、無駄から生まれたものが全てな気がする)
- 経済を回すためには「例え非効率であっても、集まる」ことも重要
要は、その時その時の局面に応じて「個々人が選択できる」ことが大切なんだろうなと。決して “テレワーク >>> オフィスワーク” ではない。
アメリカ西海岸で暮らし、働いていた経験から言っても、それは正しいと思っています。
年寄りじみた言い方であれなんですが、特に今年は新入社員が「テレワークが当たり前。素晴らしい。効率的」という中で社会に入っている。以前を知っている人は、僕が上に書いたことは「何言ってんの、当たり前じゃん。えらそーに」って思うだろうし、その通りだと思うんですが。経験していない世代にとってはどうなんだろうかと。テレビでは「テレワーク最高!」って報道がなされるし CM もガンガンそのムードで流れている。
なんか、大切な何かが失われやしないか?と年寄りは心配してしまうわけです。特に日本は今年余りにもドラスティックに変わったので、余計に心配してしまう(アメリカは、前述の通り、効率・非効率を個々人が選択して働けるのが当たり前だったんで、たぶんコロナが収まっても大丈夫だと思う)
そうならないように、「あえて非効率も選択できる」っていうか。「効率と非効率をうまーく使い分けることで社会全体としての生産性をあげる」って社会や、僕みたいな立場だと、それを伸ばすようなITサービスを作る必要があるんじゃないかな????と。
P.S. 個人的には、DXという言葉は好きじゃないので、個人ブログでは使いません(仕事では使うけど)